佐藤ちひろアナウンサーは、2020年にテレビ朝日に入社したアナウンサーです。
入社した2020年の4月からサンデーステーションの天気予報を担当しています。
普通でしたら数ヶ月の研修期間がありその後デビューするパターンが多い中、佐藤ちひろアナウンサーは入社したその月からデビューすると言うロケットスタートを切っています。
今回はそんな佐藤ちひろアナウンサーのプロフィールに迫ってみたいと思います。
佐藤ちひろさんが、アナウンサーになろうとしたきっかけは、ハンガリーのテレビ番組に出演したことがきっかけです。
佐藤ちひろアナウンサーは中学1年生の時に東日本大震災で被災しました 。
さとひろさんが住んでいた家は福島第一原発から20 km ぐらいのところで被災後ずっと家に閉じこもっていました。
放射能の不安のないところで心身のリフレッシュを測れるというハンガリーでの保養プログラムに参加申し込みをしてハンガリーに行くことになりました。
ハンガリーでは15人くらいの同世代の人たちと一緒に生活を共にしており、期間は2週間です食べ物もおいしく現地の方はすごく優しくしてくれました。
その期間中ハンガリーのテレビに出演しプログラムに参加した代表3名でハンガリーのテレビの生放送に出演しました。
被災の状況や元気の様子などを質問され、地域の惨状や目に見えない放射能の恐怖などについて話しました。
テレビ出演後番組を見てくれていた、おばあさんが訪ねてきてくれて激励してくれました。
テレビを見てくれたおばあさんが訪ねてきてくれたことにより、テレビの影響力のすごさを感じアナウンサーという職業を意識されたということです。
佐藤ちひろアナウンサーの出身高校は福島県立原町高等学校です。
原町高等学校は偏差値57の進学校です。
高校時代のエピソードを探したのですが、見つかりませんでした。
原町高校出身の有名人は誰かいるのか探してみたら、
漫談家の松鶴家千とせさんがいました。
松鶴家千とせさんといえば、アフロ姿がトレードマーク。
有名なギャグは、
「俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった。わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ。」
というのがあります。
近年見なくなりましたね。
その他に、スポーツ選手やフジテレビのプロディーサーの方がいますが、表に出る仕事では、佐藤ちひろさんが一番有名な卒業生となることは間違いないところでしょう!
佐藤ちひろアナウンサー は、早稲田大学商学部の出身です。偏差値は70ですので高校の時はトップクラスであったと予想します。
早稲田大学在学時にはワセコレ2018のモデルとして選出されています。
アナウンサーを目指そうと心に決めていた佐藤ちひろアナウンサーは、個人経営のアナウンススクールで学んでいました。
おばあちゃん子だった佐藤アナは家族の中で一番訛りがひどく 、標準語で話すことに苦労されたそうです。
テレ朝でお天気コーナーでデビューした時の映像を見てもご自身がなまっていることを作動訛りと表現していて、佐藤訛りが出ないように苦労されておられました。
また、大学4年のときには、タイのムラブリという村にボランティアで行っています。
そこでは、現地の方と一緒に白い芋虫を食べたり、汚れた水で体を洗ったりといった非日常体験をされました。
また、その村では、人を助けることが当たり前なので、「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉がなかったということに衝撃を受けたそうです。
このタイでの経験で一回り大きな人間になったとのことです。
日本での常識が通用しない世界を体験されて戸惑うことも多かったでしょうね。その経験が今後の人生に生きてくるのではないでしょうか?
2020年4月入社で、いきなりその月から「サンデーステーション」のお天気コーナーを担当。
また、その一週間後くらいからはAbemaTV「AbemaPrime」で進行役を担当しています。
今日、たまたまテレ朝を見ていたら、佐藤ちひろさんが天気を伝えてくれていましたよ。
テレ朝の女子アナ同期
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入社していきなりデビューしているのですから、佐藤ちひろアナウンサーは即戦力として入社されたようです。
これからの活躍に期待します。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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